満員電車ってどうにかならないものでしょうか。
多くの人が同じように感じていることだと思いますが、毎日のこととは言え、慣れないものですよね。
他人同士なのに、他の場面では考えられないほど密着しますし、たまに匂い等が気になることもあります。
酷い時には鞄を持っていないのに宙に浮いてしまうこともあって、手から離れないように苦心しています。
ふと我に返って「どうして、こんな思いをしてまで通勤しないといけないんだろう」と、朝から虚しくなったりして…。
我に返ってもロクなことが無いので、最近は無心になる努力をしています。
実は、一年前に満員電車に乗るのが嫌で、自転車通勤に挑戦したことがあるんです。
でも、自転車通勤や通学をする人は、想像以上に多いようで、他の自転車や歩行者の方、自動車とぶつからないようにという恐怖や緊張感が拭えませんでした。
あと、自転車は天気の影響をダイレクトに受けますよね。
ルート沿いに川があることもあって、いつも風が強く、風向きには神経質になっていました。
行きが向かい風の分には朝のテンションで乗り切れたのですが、帰りが向かい風だと、仕事で疲れ切っていたので全然進みませんでした。
雨の日も合羽を着て頑張っていたのですが、やはり蒸れが酷いので、汗なのか雨なのか分かりませんが、何もかもグチャグチャになっていました。
結局は1ヶ月で挫折し、また満員電車に逆戻り。
今は、時間がある時は手前の駅まで行き、その駅からの始発電車に乗って、座って行っています。
世の中からラッシュアワーというものが無くなれば良いのにと思う毎日です。
通勤電車
とてもマイナーでメジャーにはなりきれない、そんなオリジナルの秘密の趣味はだれでももっているかと思うが、
私の中に眠っている誰にも言ったことのない秘密のくだらない趣味を教えよう。
電車の停車駅間、ずっと息を止める。特に意味はない。なんの生産性もない。帰宅途中の電車内でただヒマなのだ。
そのヒマを持て余した遊び。そんな脳内の独り言すらもはや空気で孤独。
会社までの通勤は電車を一回乗り換えるのだが、いずれも各駅停車の電車。
また、通勤域も23区内だから比較的駅と駅の間の距離は短かい。くだらないゲームをするには条件が整いすぎている。
車掌の合図とともにヨーイドンして次の駅までの乗車時間が大体1分少々。小太りのおじさんの苦行にはもっこいのほどよい距離。
ホームを通過しきってからがスタートなのか、またゴールは完全に停車した時点でなのか、このあたりは意見が分かれるところだと思う。
まぁ、大方の予想はつくと思うけどやってみると案の定難しい。難しいというかツライ。
陸上で息を止めているのに、じっとしているのにツライ。きっと私のご先祖様は息を止めるのが苦手だったに違いない。
この大きな鼻はいったい何のためにあるのか。象のできそこないみたいな生きものが先祖だったのだろうか。
間違えて急行に乗ろうものなら大変だ。3~4駅分くらい一息で走っちゃうから各駅停車よりもはるかに難しい。
そして人知れず車内で召されてゲームオーバー。
とかなんとか小学生みたいな遊びをスーツで真顔で楽しんだらあら不思議、もう自宅付近じゃないですか。
もしかしてこれってメジャーな一人遊びだったりします?