幸せ
その昔の中世ヨーロッパ、日本、その他海外地域のどこでも様々な形での支配階級が制度として明確な意味をもった地位があった。
現代人は教科書で読み流すくらいにしか受け取らないし実生活で地位というモノを実感することはほとんどない。
なぜ実感することが薄れてきたのだろう。
社会が成熟し人の尊厳みたいなものが叫ばれるようになるとそういった意味での地位は自然と消えてなくなるようだ。
代わりに職業が職種といったモノが社会的な地位指標に取って代わって使われるようになってきた。
しかしそれすら今を生きる世代にとってみてれば前世代的なモノに思えてしまう。
それはつまり社会的な地位というモノが必ずしも幸せとは限らないということに気付き、
憧れない社会的地位というのが見えてきたことにあると思う。
年収が高く社会的地位も高い人が絶対的に幸せではない。
イコールそれは幸せでない人が果たして地位が高いと言えるのかという疑問でもある。
オンリーワン教育もそれに拍車をかけたかもしれない。
休日の過ごし方ひとつをとっても今は色んなことを選択できる。結婚という形に対しても社会は寛容になった。
幸せの多様性が地位のもつ憧れや魅力をさらに薄めていったように思える。
多様性に応えようとする社会とそこから広がる文化。その中でも様々な地位が産まれては消えていっているのだろう。
でも実は地位というモノの本質は人があってのモノ。きっと格付けしたがるのは人の心の中にある本能そのものだと思う。
集団生活をおくるサル、犬、ライオンなどの動物群れ社会では常にボスというものがいて内部統制をとっている。
そしてそれが崩れたときに波乱が起きる。
集団を構成する生きものにとって社会的地位は定めであり必要なのモノなのかもしれない。