社会になじむこと
学生からサラリーマンになってすぐくらいって、社会の窮屈さに一番疲れるころだと思う。
自分がそうだったんだけど、なんというか社会という枠に自分という個性を落とし込んでいくのがツライというか。
会社なんて辞めてやる、辞めてやるぞ、毎朝起きるたびに念仏のように唱えていたのが懐かしい。
今朝も唱えたばっかりですが。
まぁ、昔よりもマシにはなった方だ。
単純に朝が弱いだけなのかもしれないけど。
入社して3か月は社会になじんでいく自分を認めたくない病だったので、どんどん自分の感性が委縮しているかのような錯覚に陥っていた。
逆に言えば社会になじんでいっている証拠なのかもしれないけども。
でもそれが耐えられず、自分の感性、感覚を取り戻すべくとった行動は木を削ることことだった。
今考えると、なぜその方法をとったのかは自分でも未だに理解できない。
だけど木を削っていると自分の原点にかえれるような気がしていた。
そうやって何とか自我を保っていたのだった。
大げさだが当時の自分にとってはそれくらい社会に溶け込んでいく作業は苦痛を伴うほど大変な作業だったのだ。
当時の自分を含めて若者はどこか自分が特別な存在だと思っている。
そしていつか突然神様があらわれて、この退屈で辛い毎日をキラキラした人生に変えてくれると願っている。
しかし残念ながら君は特別じゃない。
自分自身でこの残酷な現実の世界を生き抜いていかなくちゃいけないんだ。
そうやって悟って、自分の人生を理解して納得して社会人の自分を受け入れるのに私は約3年かかりました。
だから今の世代がゆとりとか言われたりもするけどきっと大丈夫だとおじさんは思っています。