税金が使われている
くだらない、本当に人間なのか、と疑いたくなるような犯罪をニュースでよく見る。
そして、“極刑”という文字を見るたびに、「あーまた、無駄な税金をたくさん使われるのか。」と思う。
貴重な税金を、つまらない人間のために使うのではなく、親族に負担させればよいのだ。
極刑制度というものがあること自体には反対ではない。
更生なんていうものは、元々犯罪者になるべくしてなったわけではないものにのみ通じる概念で、根っからのおかしな人間というのは、それを作り上げたもののせいであって、更生の余地は残されていない。
だからこそ、そういった人の償い方は極刑を持ってしかない、と思う。
しかし、そう決めたうえで、執行までが長すぎる。
その意味がわからない。
人生を終わるしかないものに、反省や振り返りの時間を与えて何になるのだろうか。
その間の維持費を私たちが養う意味はあるのだろうか。
常に疑問であり、声を大にして言いたいことである。
そもそも義務教育の期間に、税金の仕組みを必須科目にしないから、金回りがわからない連中ばかりだ。
なぜ税金が必要なのか、どう使われているのか、税金を納めなければどうなるのか、基本的なことすらわからない人が多いのは、あえてわからないように社会にはなって搾り取るための国策なのか?
知らぬが仏という言葉もあるから、無知なことを利用することも必要なのかも知れない。
世の中不公平ではないか
国が、高所得者にも応分の負担を求めることを目的に、年収1200万円を超すサラリーマンは所得増税となることになったとニュースで見た。
なんてことだろう。
大変恐ろしいニュースではないかと思いながら見ていた。
どうやら、中身としては、給与収入から必要経費を見積もった額を差し引く「給与所得控除」を縮小するということらしい。
控除額が減れば、課税対象額が増えるため、夫婦と子ども2人の4人家族では年間7万?8万円の負担増となるのだとか。
うちはちょうどそれぐらいの年収だが、今でも生活は全く楽ではない。
子供が2人いて、住宅ローンも抱えている。
都内の普通のマンションだし、外車にも乗っていないし、ブランド品などの贅沢品なども購入しない。
海外旅行なんかも行けないし、妻はパートに出ている。
子供のための貯金や万が一に備えた場合の貯蓄が出来なくなるのではと少し心配である。
それなりに苦労して、努力して、成績もあげて、今の年収になった。
増税は仕方ないにしても、年収1200万円のサラリーマンには余裕はない。
気を引き締めて生活し、働きづめで将来が不安である中で、今の生活を一生懸命送っているだけだが、これではなんのために働いているのかわからない。
多めに税金を払うことによって、社会保障が充実するのかといえば、そうでもないだろう。
税金を多く収めている人たちのおかげで、生活保護受給者や非課税所得者が社会保障のもとで生活しているというのに、搾り取れるところから搾り取ろうというのはあんまりではないだろうか。
不公平感が拭い去れない。