世帯収入

このご時世を生きるごく普通のサラリーマン家庭が稼いでいくには共働きによる二馬力エンジン搭載が標準仕様になってくるのかもしれない。
でもそれって幸せなの?という素朴な疑問。

稼ぎ頭世代予備軍のミドルクラス世帯では共働き率がかなり高い。というのも自分がちょうどこのくらいの年代なので周囲の同年代を見渡すとなんか多いなぁと感じるわけです。
携帯やらインターネットやら、普段の生活水準やら、文明の利器を捨てられない我々は生活固定費だけでもそれなりになっちゃいます。
友人家庭を見ていると子供が二人いて夫婦共働きってのが多い。
地元の田舎の方では労働対価もそんなに高くないので共働きでやっと東京の一人分くらいの稼ぎだったりする。
もしくは夫婦でがっつり働いて1000万オーバーというパターンかなと。
収入だけ見ると稼いでいる方が良さげに見えるんだけども、両家の実家が近くて生活費がなんとなくシェアできている前者か、
高い保育料を払ってギリギリ1000万稼いでる後者かという生活まで含めて考えるとなんとも言えない。
多分後者は送り迎えとか、家事分担とかで悩んでいると思う。前者、米とか野菜とかタダで入手できたりするし。
記憶が正しければあとあと10年くらいすると高齢化社会がピークを迎え、稼いでいる人間に対して4人の高齢者がぶら下がっているような社会構造になるらしい。
そうなると自分の親まで施設に預けて働きに出ることになるのだろうか。
将来的な観点からすると生活水準維持のための共働きではなくって、社会から必要に迫れらて共働きにならざるを得ないのかも。
共働きを標準仕様でお願いしますという社会。まぁ、その第一歩はまず子供を預けられるところの確保なんですけれども。

成長した自分の1番への憧れと現実

小さなころ「1番」と言う言葉に「憧れ」と「特別感」を持っていました。
あの頃の1番って、本当にスターで自信に溢れているというイメージがありました。
だから、背番号の1番だって、出席番号の1番ですらすごいな…と感じていた私がいました。

でも、大人になったらどうでしょう。
1番の私のイメージはいつの間にかがらりと変ってしまいました。
今でも憧れやすごいなというイメージはありますが、昔ほど価値がなくなってしまったような気がします。
なんでだろうと自分でも不思議です。
ただ、自分が1番になれないとわかったのが小学生の時で、その頃私よりももっとすごい人が世の中にはたくさんいると周りの様子がすごく見えてきました。
自分への自信崩壊と周囲の実力。
そんな理想と現実がやっと目に入ってきたのが小学校低学年の時でした。
でも、その後さらに周囲の実力が、知識が広がったが故に自分の学校から、市町村、都道府県、日本全国、そして全世界に広がった時には、なぜか1番が自分の手には届かないすごく遠くにある、そして本当に存在するのか分からない人が1番という目に見えない存在になってしまいました。
だからなのかわかりませんが、本当に今の私の「1番」へのイメージは遠くの誰か有名な人になっています。
井の中の蛙だった私は成長して、その自分への自信を失ってしまったのかと思うと、井の中の蛙の方が幸せだったのかな…なんて思う自分もいます。
そして、今まさに私の子どもが井の中の蛙状態。
きっとこれから今持っている1番が変わってしまうかと思うと、しばらくお山の大将のように扱って、彼の1番をたくさん褒めてあげたいと思います。

年賀状に日の出背景の富士山
お年玉付き年賀状の当選速報
貰ってうれしいお年玉付き年賀はがき。当たっている年賀はがきは郵便局で交換。引き換え時期が来る前に。
www.hpfree.com/nenga/
関連:www.immobilier-landes.info

«
»